本能寺地獄変

長文書きたい気分の時に使います

なにかを批判するということ

どうもこんにちわ。出張とか入ってくると更新意欲落ちますね。

 

んでタイトルの話なんですけど、Twitterとかで殊更になにかの批判を展開する人、けっこう多いじゃないですか。

「○○読了。登場人物の行動が理解できず全く感情移入できませんでした。トンデモ科学も気になって話が頭に入らないし、ヒロインが途中から眼鏡を外すのも気に入りません。店員の愛想も無く食べログ評価2.5です」

みたいに、自分の触れたエンタメコンテンツについての批評を書く人のことです。

 

いや、まあこれ自体は全然構わないと思うんですよ。その人が感じた気持ちに嘘はないだろうし、他人のツイートなんて駅のベンチに座ってるおっさんの独り言みたいなもんだし、自分の意見と異なっても気にしなけりゃそれで済む話ですよね。

 

でもこういう人たちにありがちなのが、「批判が多くてあまり褒めない」ってところだと思うんです。

全く褒めないってわけじゃなく、あれは良かったこれは素晴らしい何が旨かった、みたいなこともたまには話すけど、トータルで見れば批判寄りの感想が多い、みたいな。

 

まあこれ別にTwitterに限った話じゃなくて、いわゆる世間で言う「めんどくさいオタク」のように、こっちが何かオススメするたびに「でもそれは~」的な論調で返してくるような人、リアルでもいますけど。あんま相手したくねーよなこんな奴ら。

やっぱり何かを否定することで、違いの分かる自分とか、周りの意見に流されない俺みたいな、なんかそういう謎の優越感持ってんのか?と勘繰ってしまいます。

 

 

で、例え話にした「駅で独り言つぶやいてるおっさん」ですけど。リアルでこんな人に遭遇しても別に突っかかったりしませんよね。

狭いスペース内で鉢合わせたおっさんがブツブツうるさい、とかなら止めてくれって注意くらいはするかもだけど、広いスペースがあるなら「怖っ、近寄らんとこ」で終わりです。

 

でもTwitterで自分の気に食わない発言した人に対して、「貴方のその意見は多数の人を不幸にします止めてください」とか凸る人、あまりにも多すぎません?

別にどちら側に理があろうと、どこの誰かも分からない人間にそんなの押し付けても自分なにも得しないじゃないですか。そこでビシシと注意したおかげで世論も変わって世界が自分の望む形になる、なんてあるわけないんですよ。ペルソナ2の噂システムじゃあるまいし。

 

 

なのに何故人はクソリプで突っかかってしまうのか。やっぱりこれ、物事を「批判」すること自体が気持ちいいからなんじゃって気がします。

でもなんというか、批判ってこうネガティブ方向のエネルギーじゃないですか。たまに「俺は文句言うために金払ってる」みたいな人いるけど、物凄いベクトル量のネガティブパワーじゃないですか。

自分自身がすごい楽天家ってのもあるけど、そういう負の意見よりは前向きな感想とかに触れたいなってところはあります。

 

 

まあ冒頭にも述べたように、別に批判マシーンが悪いってわけじゃなく(それを批判したら自分も同じ穴なので)、ただ不快な思いをする人もいるよって自戒として、なるべく「あれはダメだ」って感想よりも「これは良かった!」みたいなのを表に出していきたいなと思います。